シーソーについて。

今日はネタが無いので、以前読んだ本に書いてあったことを少し。

シーソーは目の位置を垂直方向に絶え間なく変え、風景の見え方を急速に変化させる。子どもにとってシーソーほど、目の位置を変えることが世界をまるで違った姿に見せてくれるのだということを教えてくれる遊びは、他にはないだろう。

この文を読んだとき、シーソーってそんなにたいそうな意味のある遊具だったのかと、目から鱗が落ちた。自分にとってのシーソーは、体を上下に動かされるあの何ともいえない浮遊感を楽しむための遊具で、周りの風景の変化を意識して遊んだ記憶はない。う〜ん、でもよく考えると、そもそもシーソーで景色がそんなに変化するだろうか・・・。ブランコの方がよっぽど景色が変化する気が・・・。まあ、言いたい事は分かるからいいか。^^;
もう1つ。

シーソーは、英語でseesawと書く。see−sawつまり「見える―見えた(=見えなくなった)」という合成語だ。おそらくこの単語をつくった人は、「見えた!―見えない」という風景の急速な変化を胸を躍らせて体験するうちに、子どもたちの口から自然に出てくる言葉を、そのまま一語につなげたのだろう。なかなかに含蓄のある名称だ。

よく出来た名前だったんだな。そういえば、以前AmazonHMVのランキングで、See-Sawっていうアーティスト(?)か何かの名前を見かけたな〜。どんな人たちかは知らないけど。